古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

古代日本にインド人は来ていたのか?

先日、たまたまこちらの本を見かけました。大野先生の一大論考です。

弥生文明と南インド

弥生文明と南インド

日本の弥生時代に、南インドの巨石文化が海上の道を通って日本にもたらされ、文化と一緒に言葉も入ってきて、それまで使っていた言語にタミル語という新しい言語が流入したことが説かれています。注目したいのは、単に言葉の類似だけでなく、食べ物から金属器、機織、お墓の形態など生活風習という点で共通するものが多いということと、その平行性がほぼ同時期に見られるというところです。日本語のタミル語起源説というのは、専門家からは批判されてるようですが、言葉が文明とともに伝播してきたというのは、説得力があるようにも思われます。


シルクロードというと、仏教伝播の影響からか、インドから中央アジア、中国経由の北方ルートばかりが注目されますが、インドから東南アジアを経由した南方ルートもあるぞというわけですね。稲作は揚子江下流あたりから伝来したようですし、沖縄方言(ウチナー口)の中にはサンスクリットが残っているというのも聞いたことがあります。また、逆さ日本図というのを見れば、日本がフィリピンあたりから続く環太平洋文化の一環であることも分かります。


記録上、初めて日本の地を踏んだインド人というと、奈良時代のボーディセーナ(Bodhisena 菩提遷那 704-760)になるようですが、彼とともに日本に来た僧がベトナム(林邑)出身の仏哲だったというのも注目すべきかと思います。実際に、義浄の『大唐西域求法高僧伝』なんかによれば、当時のベトナムの仏教者は東南アジア経由でインドに渡り修行をしていたようですし、唐代中国など周辺国との交流は盛んだったらしく、このことからも、当時の奈良時代に、南方ルート経由で間接的にインドと交流があっただろうことが分かります。何を隠そう、この仏哲こそが『悉曇章』という、密教教典であり、日本の五十音図を成立せしめた文献を持参し、悉曇の教育を行った人物らしいのです。


chamstudies.net



かつて上村先生は、天台本覚論の背景にバガヴァッド・ギーターがあると指摘されました。いわば、日本仏教の梵我一如化です。インドで仏教がヒンドゥー教に呑み込まれて消滅したのと時を同じくして、日本でも仏教はヒンドゥー教化してしまったとも言えるでしょうか。ここでも時を同じくして同じような現象が起きているというのは興味深いところではありますねぇ。