古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

シリーズ仏典のエッセンス

先々月に出た新刊です。シリーズ哲学のエッセンスの続篇ということですかね。


この本の冒頭で、インドというお国柄をあらわしているということで、ヒトーパデーシャの中の洗濯屋の番犬と驢馬の話が紹介されてます。ごく簡単にあらすじをいいますと、洗濯屋に泥棒が入っても番犬が吼えないんですね。番犬いわく、その主人はろくに餌もくれないからだそうで、見るに見かねた驢馬がいななくと、何でこんな晩に騒ぐんだ、馬鹿な驢馬だなと言われて逆に棒で叩かれてしまうという話。そこから、他人の仕事に口出しするものはぶちのめされる(笑)という教訓が述べられるというもの。

日本なら、そこで驢馬は褒められて、以後幸せに暮らしました・・・となるのかもしれませんが、シビアで現実主義的なインドの社会では、そうもいかず、また逆にそういう土壌の中からお釈迦さんも生まれてくる云々と、この本の導入部分のお話になってるんですね。

ま、確かにインドは大変な国ですよね。思えば、10年ほど前、初めてインドを一人で訪れた初日、ニューデリーの街並みを見てまわろうと歩いていると、あちこちで、リキシャーやら、お土産、安宿、あやしげな旅行会社など色々な勧誘を受けて、オチオチと歩いていられなかったのを思い出します。はじめこそ、にこやかに断ったり、交渉したりして一々応対してたんですが、それが延々と続くので鬱陶しくなっていって、挙句の果に、疲れはてて公園のベンチに座って休んでたら、今度は靴磨きの少年が「ハロー、ジャパニ、靴磨きはどうお?」って寄ってくる(笑)。「いいよ、いらないよ、あっちへ行きなさい」って言って断ったと思って目を離すと、勝手に靴磨きのクリームを私の靴に付けて磨きはじめてる・・・。それで「ハイ、お金ちょうだい!!」って。何だかえらい所に来ちゃたな・・・(笑)って初めは思いましたね。きっと、いい「金づる」が歩いてるとしか見られなかったんでしょうが。インドのそういう話って、実は他にいくらでもあって、尽きないんですが(笑)、ま、何かにつけ、バイタリティといいますか、交渉力が必要な社会ですよねぇ。