古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

パターチャーラー

先週の土曜日から仕事は休みにさせてもらいましたが、あまり自分の自由になる時間はありませんねぇ…。今日は大掃除というか、部屋の整理を午後からする。先日、本棚二つ買いまして、明日発送されてくるため、古い本棚を移動し、場所を空けておかなければならなかったため。同時に、本棚からあふれている本をまとめておく。年末年始は赤ん坊が居るため、特に何処に行く予定もありません。人混みを避け、初詣も行けませんから、寝正月&読書を決め込んでおります。

犀の角たち

こちらは、ちょっと前から暇な時に読んでいたもの。大乗仏教の起源として、破僧の定義の変更があるという著者の説は、本書の最後にも要約される形で説かれています。もっとも、パターチャーラー物語の譬えを使って説明されてるところの方が、私なんかには分かり易い気がします…。

asin:4883922111の本の解説にもありますが、幸せの絶頂だったパターチャーラーは、一日で夫と2人の子供に相次いで死なれ、しかも両親に先立たれるという壮絶な悲劇を経験し、全てを失ってしまうのですが、そこで仏陀が説法をしていた祇園精舎に着き、出家することになります。


そこで、佐々木氏は、もし、子どもが一人生き残ったとしたら、どうか?といいます。子どもがいたら、子どもを捨てて出家することはできません。それは、シャキャムニ・ブッダの時代の仏教が、全てを捨てて、新しい人生を構築しようという人のためにあるからです。全てを捨てられない人は、仏教僧団には参加できず、つまり「安らぎ」も獲得できないことになります。

それなら、パターチャーラーに一人子どもが残ったとして、絶望的な状態にもかかわらず、宗教的安らぎが得られない狂おしい状況で、救われる方法があるのか?といえば、そうした場合に、超越的な存在への帰依、つまり大乗仏教の中にもある超越者の宗教になってくるのではないかというのです。

大乗仏教の起源については、様々な説があるようですが、そういう超越者の宗教が果たす役割という視点も面白いですね。

佐々木氏の次の本は、恥ずかしながらまだ未読ですので、そのうち読みたいところ。