古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

インド的?

ちょっと前になりますが、こちらの本が出ました。

中国唯識思想史研究-玄奘と唯識学派-

中国唯識思想史研究-玄奘と唯識学派-

こういうタイトルの本ってありそうでなかったですね。他になかなか思いつきません。その意味でも気になる本。すぐにでも買いたいのですが、先立つものが…(苦笑)。吉村先生のは、『興隆・発展する仏教 (新アジア仏教史07中国? 隋唐)』に収録されてるのをはじめ、他に読める論文もいろいろありますので、とりあえずはそちらを読んでおきます。

さて、玄奘はなぜインドに唯識原典を求めて旅立ったのか?

それは、如来蔵思想的に(=起信論的に)解釈されたそれまでの中国唯識とは異なる、インド本来の唯識思想を知りたいがためということだったのでしょうが、個人的には、染浄依止としてのアーラヤ識(あるいは如来蔵)のインドでの成立というのに興味を持ってます。インドでは、『勝鬘経』や『楞伽経』によって打ち出されるわけですが、その後の中国・日本での爆発的流行と比較すると、インドではほとんど展開が見られません。何か付けたしのようにも見えてきます。真諦の九識というのも彼の弟子たちによって作り上げられたようですし、インドにまで遡り得るものは多くありません。

もともと唯識と如来蔵は紙一重のところがありますが、その矛盾を認識しつつも、アサンガはその矛盾に耐える他なかったといわれますし、玄奘がインドからもたらした五姓各別説というのを考えると、染浄依止としてのアーラヤ識・如来蔵というのが、どうもインド的には合わないような気がしてならないのですが…*1

しかし、『勝鬘経』と『楞伽経』、両者はともに5世紀前半に求那跋陀羅によって漢訳されてますが、そこに染浄依止としてのアーラヤ識・如来蔵はあるわけです。となると、インドのメインストリームというよりは、そこを外れたところで両経典は成立・流行して、その問題の箇所も部分も付け加えられたのではないか?思わずそういう風に勘ぐりたくもなってしまうのです。根拠はまったくありませんが…。そういえば、法華経もインドのカースト制度が及ばない辺境地域で成立したとか言われてませんでしたっけ(参照)?


まだまだ調べることが多そうです。

*1:このエントリを書いた後、『摂大乗論』で染浄依止として説かれている部分があるのでは、というご指摘をいただきました。『人物・中国の仏教 玄奘』の袴谷先生によりますと、アサンガとしては、仏陀から見た世界としてそれを説いていたようで、確かに如来蔵経典の作者に心を通わせていたようです。ただ、彼としては、そうした世界に生きていることを信じつつも、妄識としてのアーラヤ識の分析をすることに留まざるを得なかったといわれてます。