古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

年末年始にかけて

今年も残すところあとわずかとなりました。12月は大市など古書会館での行事もいろいろあり、そんな中、自家目録を出したり、間隙をぬって出張買取もあったりと、バタバタしてました。この時期は、例年、本が動く時でして、市場にも5トン車、10トン車の大量入荷が連日続きました。出る時は続けて出る、これは業界のジンクスですが、今月もそんな感じでした。連日の大量出品が続くと、そんなに無理に追いかけなくてもいいやという感覚に襲われるのですが、あるお寺さんの蔵書が続けて出てたのは注意して追いかけるようにしてました。ほとんどに大きな蔵書印がべったりあるものでしたが、仏書の場合はその辺はあまり気にされない方も多いので、万遍なく入札することにしてました。古本屋側の人間は結構気にする人も多いので、案外安く買えることもあります(^^

あと、うちの店にもお客様からの蔵書の処分のお問い合わせを多くいただき、続々と入荷しております。というわけで、本の整理が追いついてないのですが、良書を選別しストックしておいてますので、年明けから本格的に整理にとりかかりたいです。


勉強の方は、先月の学内発表でそれまでやってきたことに区切りを付け、新たなネタを発掘すべく、高崎先生の著作集などをじっくり読んでいます。新刊で4冊まで買いましたけど、残りも買おうか思案中のところへ横山先生の新著が出たので、とりあえずはそちらを買おうかなと考えてます。

唯識の真理観

唯識の真理観

興味深い視点を見つけ次第メモしつつ、その点についての先行研究を調べて読み、新たに付け加えることはないか検証するというネタ探し作業。これはこれで面白いのですが、テキストをじっくり読むという地道な作業との時間配分をどうするかが悩ましいところではあります。文献学にとってテキスト講読というのは中心になるべきところですが、私のようなパートタイムな研究者の場合、一日のうち何とかやりくりして、2時間机に向うことができたとして、そこでテキストを読んだとしても、蔵訳やら漢訳やらいろいろ見なければならないこともあって、わずか数行しか進まないなんてことになりかねないんですよね…(^^;;

何とももどかしい限りですが、それでもやらないと話になりませんので、限られた時間の中で読める量を増やせるように、言語能力、センスを磨くしかなさそうです。


あと、この時期は年末年始に読もうと、読めもしない本を買いがちなんですが、今年もやってしまいました。


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これは1988年刊の第4刷。旧版の中では最後に出たものですが、この版のみに月報集という付録がついてます。これよりも第3刷(1978年)の方がよく見かけますが、この版はあんまり見ませんね。年末年始というより、残りの人生をかけて読む、といった方が正しいのは明らかですが(笑)。個人的には、以下の本を読んでからというものの、それまで抱いていた漠然とした西田哲学に対するイメージをいい意味で覆され、全集を手元に置いておきたいと思っていたのでした。

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)

とかく、仏教との結びつきばかりが取り上げられがちですが、それだけでなくキリスト教やドイツロマン主義、あるいは数学など、多方面からの影響をも考慮した興味深い伝記。