ブッダは実在しない

書店に立ち寄った時に偶々見つけてしまい、そのまま買ってしまった本。見事にタイトルに釣られてしまった感じです。

一般的に仏教は“ブッダ”によって始められたと考えられてます。しかし、“ブッダ”という言葉はもともとゴータマ・シッダールタという人間のみを指す固有名詞ではなく、悟りを開いた人間一般を指す普通名詞で、ブッダは複数存在していた。ブッダの教えとされるものも、複数のブッダの教えが時を経て、一つのものへと整えられてきた可能性も否定できない。ブッダの生涯にしたって、出家、修行、成道、入滅と、それぞれが個別に説かれていて、初めから全部揃って説かれていたわけではない。そもそも「仏教」という言葉自体、近代になって初めて作られたものであって、はるか昔の人々が、現在でいう「仏教」という包括的・統一的な概念をもっていたわけではない・・・など。


この辺は、仏教学の研究成果によって明らかになったことから考えれば、別に驚くべきものでもないと思います。ブッダが実在しないというと、結構ショッキングな感じに聞こえますが、著者は別に仏教の存立を否定するのが狙いではないようです。もともと仏教自体が、ブッダの実在を聖典に基づいて論証しようとしてこなかったといいます。それよりもむしろ、新たな教典を次々と作り、多様な物語を生み出していった、その文学性に注目するなら、ブッダが実在したかどうかは重要なことではないともいいます。


最後に、仏教が究極の実在を前提とせず、そういう究極の実在を求めようとしていっても、最後には何もないところに行き着いてしまう。なにしろ、ブッダは実在しないからだ、というオチで締めくくられてます(笑)。