古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

虚妄なる分別?

今年もよろしくお願いします。

 

昨年末に届いた印仏研。

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その中で、実際に発表も聞いていて、すごく面白かったのが、同じ佛大の院生、金俊佑さんの以下の論文。

 

複合語 abhūtaparikalpa は karmadhāraya か

 

虚妄分別 abhūtaparikalpaは「虚妄なる分別」という風に日本語として表記されることが多い。長尾雅人先生しかり*1

 

「虚妄なる分別」という訳語はabhūta-parikalpaという複合語を、前分と後分が同格とみなすkarmadhārayaとして理解していると考えられる。

 

しかし、実際の文献中に見られる解釈は、abhūtaをgrāhyagrāhaka(所取・能取)と言い換えて理解され、虚妄分別は、所取と能取(という虚妄なもの=遍計所執性=無)に対する分別(=依他起性=有)として、tatpurṣaとして解釈されていると金さんはいいます。言い換えるならば、abhūtasya parikalpaであると。

 

したがって、「虚妄なる分別」という訳語はおかしいことになります。

 

実際、その辺、(自分も含めて)結構曖昧に理解されてきたふしがあると思います。無意識に「虚妄なる分別」と用いてこなかったか?

 

その辺はすでにこちらでもいわれてますが、漢訳語である「虚妄分別」という語から、日本語の感覚に引きつけて解釈された理解が「虚妄なる分別」なのかもしれません。しかし、インド的な文脈、サンスクリット本来の意味からいうと、そうはならないというわけです。

 

うーん。

 

ともかく、この発表の後の質疑応答が盛り上がっていたのはいうまでもありません(^^)。

 

そういえば、来月にこちらの本が出ます。

 

虚妄分別」とは何か、です(^_^;)

 

虚妄分別とは何か: 唯識説における言葉と世界

虚妄分別とは何か: 唯識説における言葉と世界

 

 

*1:

大乗仏典〈15〉世親論集 (中公文庫)