3月に入り、インフルエンザや花粉症やらで体調がすぐれませんでした。で、回復したらしたで、色々あって慌しくしてました。
今月末をもって、博士課程は満期退学になりまして、4月から研究員という身分になります。先日はその手続きで京都の本学に行ってきました。あと3年の猶予期間をもらった感じなので、きちんと計画を立てて、それに沿って進めていきたいと思っています。今年の印仏の発表も申し込んでおきました。
さて、最近読んだいくつかの本の中から、まずはこちら。
この本は、京都学派の哲学内容について解説するというのではなく*1、京都学派の戦争責任と、その負の遺産をどう乗り越えるか?という点に絞って話が進みます。結論的にいうと、その答えを新京都学派の上山春平の思想の中に見ていこうとしています。その他にも、高山岩男の『場所的論理と呼応の原理』に対するの評価(レヴィナスの思想との関係性)や、京都学派に対する歯に衣着せぬ批判を展開した高橋里美の哲学の位置付け、そしてパースの哲学を取り入れた上山春平の『日本文明史』などに注目しているところが、すごく参考になりました。
次にこちら。書店でみかけて、何気なく手にとって読んでみたところ、見事に引き込まれてしまいました。
もともとお稲荷さんや八幡様というのが、渡来人の祀った神であったというのはよくいわれてますが、日本固有の信仰と看做されている神社そのものの成り立ちが古代朝鮮(新羅ー伽耶系)からの渡来人によってもたらされたものであるというのは結構刺激的な話。実際、敦賀、近江など日本海側には、成立の古い新羅系の神社が多く残っているそうで、著者はそれらを丹念に訪れ、その紀行文をベースに話が展開していきます。
渡来人たちは瀬戸内海を経由する畿内よりも、直接日本海側に上陸して、様々な技術、とりわけ金属の精錬技術を伝えたのではないかと著者は見ています。新羅系神社の近くには必ず鉱脈がありますが、上陸した彼らは、当時の金に比すべき鉄を求めて未開発の倭の国を東漸していき、そこに彼らの古俗に従ったシャーマニズム的な祠を建て、それが神社の起源になったのではないか、という話です。面白いのは、神社の原始形態である、社殿のない森だけの聖地というのが日本海側、とりわけ朝鮮に近い壱岐・対馬に存在しているという事実。それについては、著者の三部作のこちらの本の話になってくるんですが・・・。
結局、三部作全部買ってしまったという・・・。
出雲へは、以前松江で印仏学会があったときに足を伸ばしましたが、今度はゆっくりと行ってみたいものですね。
*1:それについては、『日本の哲学をよむ: 「無」の思想の系譜 (ちくま学芸文庫)』などを参照するのが手っ取り早い。