「涅槃大学 印度哲学科」といえば、坂口安吾の「勉強記」という、彼自身の経験をもとに書かれた小説の主人公・栗栖按吉が通う大学のこと。当時(昭和一ケタ)の学生が、サンスクリット、パーリ語、あるいはチベット語の習得にいかに苦労したかを窺い知ることができて面白いです。
- 作者: 坂口安吾
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/02/06
- メディア: 文庫
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ここに坊主の子供達が御布施をくれたって俺はでないねという講座が二つあるのである。梵語(ぼんご)と巴利(パーリ)語の講座であった。ところが栗栖按吉が何より情熱傾けてこの講座へせっせと通う。調べてみると、一日に七八時間も文法書をひっくりかえしたり辞書をめくっているという話なのである。
梵語は辞書をひけるまでがまず一苦労、却々探す単語がおいそれと辞書から顔を出しません。いやはや梵語学者と申しましても、みんなそれぞれ怪しいものでございます、と(先生は)仰有るのである。だからもう決して無理に梵語の勉強をおすすめは致しません。
当時は、サンスクリットの教科書というと、何を使っていたのでしょうねぇ。榊亮三郎の『解説梵語学』とか、荻原雲来の『実習梵語学』あたり?
「梵語はあなた、まだまだ楽でございます」先生はにこにこ仰有るのである。「チベット語ときたら、これはもう私はあなた、もう満五年間というもの山口恵海先生に習っているのでございます。単語がもう何から何までひとつひとつが不規則変化。いまだに辞書がろくすっぽ引けは致しません。それでも帝大で講義致しております。大変つろうございます」
この「勉強記」の中では、チベット語の辞書を引けずとも、帝大で講師をしている云々と出てきまして、それはいくらなんでも言いすぎでしょうが、当時(1926〜30年)の文法書といえば寺本婉雅の『西蔵語文典』あたりでしょうから、雲をつかむかのような勉強だったろうことが伝わってきます。サンスクリットはともかく、このチベット語のくだりなんかは、私は激しく同意します(笑)。
稚ブログも一応「勉強記」と銘打っておりますが、別に安吾の「勉強記」を参考にした訳ではありません。なぜかといえば、安吾の方は、最後は仏教をあきらめて、女性の影がちらほら…という結末になるので(笑)。しかし、そうであるにせよ、私も一応、安吾と同じ「涅槃大学」出身だったりしますし(笑)、安吾を意識しつつ、梵語、巴利語、チベット語などをマスターすべく、古本屋なりの「勉強記」というタイトルにさせてもらいましょう。
何で、安吾のことに触れたかといいますと、こちらの記事を最近になって読んだからです。仕事の傍ら、40歳を越えてからサンスクリット、博士号、そして翻訳、まさになせばなる、ですねぇ。