古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

仏の死からはじまる仏教

仏典をよむ―死からはじまる仏教史すでに読まれた方も多いと思います、こちらの本。現代仏教学の大家による、インドから中国・日本へと展開する明解な仏教史になってます。この本では、仏教がゴータマ・ブッダの直接の教えから生まれたというよりも、むしろ、彼の死後、その死を乗り越えようとするところに、仏教の出発点があるのではないか?そして、仏の死を理論化する試みが大乗仏教として展開していったのだろう、ということが仏教学の成果として述べられてます。


原始仏教の考え方に従えば、あくまでも仏の死(と彼が死後無に帰すのか否か?)というのはさほど重要な問題にならないことになります。あくまでも自灯明・法灯明ということで、修行者自身と真理のみが、残された者にとって重要なはずですから。それに対して、仏を崇拝する在家の人のために、仏崇拝をどう合理化すればよいのか、それが大乗仏教の成立・展開だったということなのでしょう。


たとえば、日本仏教などで重んじられる「仏性」という言葉(buddha-dhātu)ですが、これはもともと仏の遺骨を意味するそうです。すべての人に宿る、仏と同じ悟りの本性である言葉のもとの意味が、仏の遺骨、つまり仏崇拝にあったというのも、非常に興味深いですね。そればかりでなく、仏の入滅で終わる遊行経が、仏の永遠性を説く大乗の大般涅槃経に発展しますし、法華経無量寿経も仏の死をどう説明するのかという点にかかわってくる経典です。


このように、仏の死から始まる仏教という視点で読み直す仏教史ですが、非常に刺激的に読めました。