古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

註がない…

今週から『楞伽経』の散文部分(とりあえず「無常品」)を読んでいってます。といっても、まだ始めたばかりなんですが、いきなり躓いております…(笑)。同経は、邦訳が二つ刊行されているのですが、その二つともに、訳文に註記が全く付されておらず、訳の根拠というのがよく分からないところがあります。つまり、こういう訳もできるんじゃないの?とか、普通に読むとそういう訳にはならないんじゃないかな?というのがあるにもかかわらず、そうした余地を排除した根拠が示されてないのです。となりますと、一応漢訳を手がかりに、自分で訳さなければならない訳で、邦訳があるから大丈夫だろうと安易に考えていた自分を深く反省する破目に…(笑)。現段階でよく分からないところは、あまり深く考えず、あとで先生に聞こうと思い、とりあえずは先を急いでます。深く考え込むと、貴重な時間があっという間に過ぎ去ってしまいますので。


それと平行して、兵藤本も熟読。三性説が唯識無境と結びついていく過程について大いに参考になることは前回に書いた通りです。計画書を書く前の段階で、もとの論文の方は読んではいたのですが、改めて読み返してみても、新たに気付くことも多く、メモをとりつつ修論に使えそうなアイデアを再考する。三性説といえば、1995年に出た竹村先生の『唯識三性説の研究』という大著があるのですが、竹村先生が初期から後期へと構造的に変化した三性説の流れの中から、最大公約数的な面を抽出しようという感じなのに対し、勝呂・兵藤両先生は、逆にその変化の重要性に着目されているところが対照的なところ。導き出される結論も、研究者の視点によってガラッと変わってくるというのは、すごいことだなぁと思いますね。


今後の予定としては、とりあえず『楞伽経』をまずは正確に読み、あとは『瑜伽論』「菩薩地」、「摂決択分」、『解深密経』、『大乗荘厳経論』、『中辺分別論』と世親釈、などの引用部分をチェックし、それらとの比較検証という形になろうと思います。