世親作といわれている『三性論』ですが、その世親作という伝承を疑う研究者の方は案外多いような気がします。理由はいろいろあるようですが、まずは、当然といえば当然のことながら、チベット訳では龍樹作とされている点です。もちろん龍樹の作ではないんでしょうが、そういう伝承があること自体、世親作を疑わせるものともいえます。次に、註釈がないという点も。唯識文献で、無著とか世親、あるいはそれ以前の論書では全て註釈がありますが、『三性論』だけありません。その辺も結構あやしい…となるんでしょうか。
その辺は世親が如来蔵思想を認めるのかどうか、ということとも関係してきますが、その点については、すでに指摘されている通り*1、『楞伽経』と『三性論』のみ、三性説のsvabhāvaの蔵訳がrang bzhinとなっていて、他の唯識文献中ではngo bo nyidと訳されているというのがあります。つまりは『楞伽経』と『三性論』は如来蔵を説くものであって、唯識を著述するものではなく、特に『三性論』は後世の偽作ではないか?というのです。
しかし、三性説というのは、もともと唯識とは別の教義で、むしろ本来は如来蔵的な教義に近いような気もします。そして、『三性論』の幻術の比喩の説明などは、『大乗荘厳経論』の世親釈とも一致していたりして、そういう面に注目しますと世親の著作とみれないこともないわけです。
何とも難しいところです…。