古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

三性と三相

三性説(tri-svabhāva)は三相説(tri-lakṣaṇa)とも言われ、両者は同じものだというのが一応の通説です。しかし、こちらの論考が主張されるように、やはり言葉が違うのだから、何らかの意味の違いがあるのではないか?と考えるのも自然なように思われます。

統一した流れを持つテキスト内において三性説を表現するために意義が同じであるからといって、文章が混乱する可能性がありながら気分的に用語を配列するということがありうるのであろうか。むしろ文脈により適したものを意図的に配置した可能性のほうが高いのではないか。


そこで、唯識文献において、三性と三相の用例を細かくチェックされたのがこちらの論文。その論文は未完で考察の途上で終わっており、結論は出てないのですが、両者の用例の文法的相違(複合語解釈)が明らかになり、その点からも同義・互換的ではないといえるらしい。


意味としては、「相」は「特徴」や「標し」という感じなのに対し、「性」は、bhāvaという語があるように、「存在」とか「本質」という意味が強いように思います。個人的に注目したいのは、最古の三性説を説くといわれる『解深密経』が三相説になっていること。そこでは、諸法の“見られた特徴”(客観)が中心で、それを生み出す心(主観)の側はまだ説かれていません。つまり、そこでは必然的に三相となっていて、三無自性説も説かれていますが、「相」と「性」は明らかに使い分けられているように思われるのです。


ともかく、三性説について何か書こうとすると、先行研究が多いので、いろいろと読んで考えなければならないことが多いですね。先日、修論の題目変更をしまして、ようやく題目も決まり、とりあえずは10月〜11月を目処に草稿を一度提出したいと考えているところです。