こちらを買って読みました。東アジア儒教圏ではバイブルですが、本家中国よりも、日本で先に“聖典”とされ、それにもかかわらず、本当の意味で『論語』を消化するのは江戸時代を待たねばならなかった、など、意外な面も分かって、面白く読ませていただきました。『論語』というと、本書でもいわれてますが、お説教っぽいイメージがまずあって、そうしたイメージでとらえられる部分は大きいと思います。でも、そういうイメージ自体、ある意味“作られたもの”ですし、そもそも孔子の著作であるかどうかも疑わしいということなんですね。あくまでも、孔子一門に代々伝わった言行録という性格のもので、その中には孔子の肉声も含まれているのでしょうが、実際、テキストとしては句読点もない漢文だけで、どうとでも解釈できる部分が少なからずあり、文献学的にそれを明らかにするにも限界があります。
孔子と同じ時代には、釈尊やソクラテス以前の哲学者もいますし、旧約聖書の編纂もされていますが、その時代に現代的な著作権があるわけもなく、まだ個人の著作という概念もないようです。むしろ、本書の表現を借りれば、孔子や釈尊に仮託する形で著わされた“世代蓄積型集団創作”となります。キリスト教も仏教も儒教も、開祖自身の教えが文字化されるのはずっと後代のことですし、すごく大雑把な言い方をさせてもらえれば、バイブルっていうのはそういうものなんですね。そういう意味では、“危ない”のは、なにも『論語』だけではないことになりますねぇ…。
さて、孔子といえば、やはりこれでしょうか…(笑)。だいぶ昔に読んだものが、無くなってたので、思わずこちらの文庫版をぽちっとしてしましました…(笑)。上記書籍でも、最後にちょっとだけ紹介があります。
- 作者: 諸星大二郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1996/11/15
- メディア: 文庫
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