古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

営業努力!

今年もいよいよ大詰めですが、先日ふらっといらしたお客様に「いかに生きるか?」そういう問いに答えてくれるような哲学の入門書はありませんか?といきなり尋ねられました!古本屋をやってますと、いろんなこと尋ねられますが、こういう風に単刀直入にズバリと本質的なことを聞かれますと、少々面食らってしまいますね(苦笑)。とりあえず思いついたものを二、三お薦めしましたが、それらをお読みになって、その問いに答えを見出してくれたか、甚だ心許ないです(苦笑)。後になって調べてみると、色々といい本が出てきました。もう手遅れですが、また同じことを聞かれたときのために、読んでおきましょう。こういうのも営業努力です、はい(笑)。

いま哲学とはなにか (岩波新書)

いま哲学とはなにか (岩波新書)

よく生きる (ちくま新書)

よく生きる (ちくま新書)

こういう本を読むと、古代ギリシアで善く生きるとはどういうことか?そう提起された問いが如何に深められていったか、簡潔にまとめられているのが分かります。

幸福とは自己実現である、とよく言われますが、よく考えてみれば、それって古代ギリシアに端を発するものなんでしょうか。自分の自由な意志により、自由に行動し、自己を拡大し、自己に備わる徳を現実化する。そういうエゴイスティックな側面とともに、他者とのかかわり合い、他者への奉仕という側面、これら両面をこの本の著者は生きる目的としています。その二つの側面がどのように深められていくのかといえば、その転機としては、基本的な人間観の転回があるように思います。自立的・理性的な人間像から、自己の底には深い無が含まれる、または自己の根源に他者が含まれているというなレヴィナスの他者論へ。

よく思いますが、自己実現といっても、自らの意思で「自由」にやりたいように選択、行動しているかのように我々は思ってますが、実はそうとばかりも言えず、むしろ本当に「自由」にできる部分はかなり限定された局所的な面のみだとも思います。生まれた時以来、否応なしに他者との関係性の中に投げ込まれ、その関係性の中で生きている。自分のためにする行動も他者に対して何らかの影響を及ぼすことになるでしょう。または意識のイニシアティブが及ばない無意識によって、我々は判断をしているともいえる。

ただ、以上のようなことを仏教関係の方々に話したら、そんなの当たり前じゃないか!といわれてしまいそう…。

五蘊無我

あるいは、

相即相入


事事無碍

これらの一語で解決されてしまうので…(笑)。


というか、いかに生きるか?それなら仏教ですよ!と初めから言っておけばよかったのか…(笑)。


上記の本の中でのレヴィナスの思想(他者論)が気になりましたので、ついでにこちらも読んでおきましょう。
営業努力です。はい(笑)。

レヴィナス入門 (ちくま新書)

レヴィナス入門 (ちくま新書)


ともかく、2013年も日々営業努力してまいりますので、どうぞよろしくお願い致します!