こちらの本を読んでおります。このシリーズはどれも勉強になりますが、本書も他に違わずといった感じです。従来の説の再考を迫るものとして、第二章「『如来蔵経』再考」、そして如来常住という場合のnityaについての興味深い考察を含む第三章などに特に興味を強く惹かれました。
「如来蔵」という語、最初に出てきたもともとの文脈は、ブッダの遺骨という意味らしいですが、そこからブッダの本性という意味へと発展したのは、やはり色身から法身へという流れの中でのことなんでしょうね。その点もなかなか興味深いと思いました。
あと、起源的に、如来蔵の「蔵」(garbha)が「胎児」の意味ではないという話もあったのですが、これも従来の「如来蔵」説の再考を迫るものです。考えてみれば、「如来の胎児」という表現からは、そもそも如来(仏性)は成長、発展するものなのか?という疑問も出てくるわけですが…(^^;それよりも、むしろ“完成された”如来がわれわれの内部にあるというニュアンスの方が強いらしい。ただ同経の比喩の中には、転輪聖王の胎児を身籠る貧女や、種の中の新芽の比喩がありますから、経典に如来蔵を付加した者が、そのへんを全く考慮しなかったわけではなさそう。それは、経典の作者があくまでも“哲学者”ではなく、“ストーリーテラー”だったからなんじゃないかと思うのですが、dhātuにしても、garbhaにしても、いろいろな意味がありますから、難しい気がします。
さて、本書の中で紹介されていたこちら。勝鬘経が紀元3世紀南インドイクシュヴァーク朝支配下の仏教教団の中で生まれたということを指摘されているようで、個人的には見過ごせないところなんで、さっそく注文を出してしまいました…。
- 作者: Alex Wayman,Hideko Wayman
- 出版社/メーカー: Motilal Banarsidass Pub
- 発売日: 1990/12
- メディア: ハードカバー
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