古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

福岡生命科学で読む西田哲学

こちらの本を読んでみました。

実は発売されたときにすぐ買ったのですが、ざっと読み通してそのまま積読しておりました。ふと気づいて読み直してみたら、かなり面白いので、一気に読んでしまいました。

 

 

本書の冒頭で、福岡先生の動的平衡というのが、以下のように紹介されてます。 

 

私たちの身体はたえまのない合成と分解のさなかにある。今日の私は昨日の私とは異なる。一年もたてば、私は物質的にはすっかり別人になっている。私が食べたものが、一時、私の身体の中で私を作り、また通り抜けていく。お変わりありませんね、ではなく、私たちはお変わりありまくりなのだ。つまり生命は流れの中にある。いや流れそのものであると言っていい。私はこれを動的平衡と呼んでいる。

 

こうした生命の動的な世界の表現と時間論というのが、福岡生命科学と西田哲学両者に共通するポイントになってくるんですが、例えば、西田がいう「絶対矛盾的自己同一」だとか「絶対現在」、「永遠の今」はたまた「過去と未来との矛盾的自己同一」・・・そんな奇天烈なキーワードの数々も、そうした生命論を元にして解説されると、目から鱗が落ちるように理解できるんですねぇ(笑)。そこが本書の最大の特色かなと思います。

 

 

次に面白いと思ったのは、著者の池田先生が、そうした西田の(生命)哲学をピュシス対ロゴスという西洋哲学史の全体像の中にしっかりと位置づけて解説されてるところですね。古代ギリシアに、自然本来のあり方をとらえようというピュシスの立場がまずあって、プラトン以来、その本来のリアルなナマの自然を忘れて、ロゴスの立場によって哲学や科学が構築されてくるわけですが、池田先生によれば、そのピュシスの世界に還れというのが西田の立場になるというのです。

 

 

そうした解説のおかげで、西田哲学が、福岡先生の「動的平衡」や「先回り」という生命理論とシンクロナイズするというのがよく分かります。

 

 

途中、西田哲学のキーワードである「逆対応」を理解するために、喩え話で持ち出した、環境と年輪の話で両先生の理解がすれ違い、読者もまた、その理解をめぐって混乱させられるのですが(笑)、きわめて明快な西田哲学解説書だと思います。

 

 

おかげでこちらの本をまじめに読んでみようという気になりました。挫折しないで読めるか(笑)?