自性清浄心

先週末あたりから、蒸し暑い日が続いてまして、息苦しい日々です。今日は少しばかり楽でしたが。

先日の中間発表会では、通信の修士課程の方々は少なかったように思います。ここ3回ほど見た限りでは、出席するメンバーは大体決まっているような観もありますが、通信の皆さまはいかがお過ごしでしょうか?って、特に誰に向かって言ってるのではないんですが…(笑)。


さて、修論関係なんですが、最近は自性清浄心について調べてます。
原始仏典(増支部)の中にまで、辿りうるものですが、心は生まれつき清浄であり、煩悩は、偶々一時的にそこに付着しているという考え方です。洋の東西を問わず、性善説性悪説、いろいろあるんですね…。

この、煩悩が「偶々一時的に」付着しているというのが、ちょっと曲者でして、そう表現されると、一見簡単に取り除くことができるかのような印象を与えかねないことになります。

だからこそ、唯識派では、自性清浄の他に「離垢清浄」を説いたのだとも思います。

つまり、ヨーガの実践という段階的な修行の過程によって、心が垢を離れて徐々に清浄になっていくというものです。

しかし、この離垢清浄も、やがては自性清浄の流れに吸収されていくことになるのですが…。

そういう流れについては、良く言えば、仏教が一般民衆の中に広がっていったという風に見ることができるかもしれませんが、元から清浄なんだって言われても違和感を拭い去れない感じもありますねぇ。


唯識ついでに言いますと、先日、STUDIA PHILOLOGICA BUDDHICAの下記2点他を入手する。

IV. Lambert Schmithausen,
Alayavijnana: On the Origin and the Early Development of a Central Concept of Yogacara Philosophy (1987).  Reprint with Addenda and Corrigenda (2007). 2 volumes. ISBN 978-4-906267-56-9. 2,800 yen.
Part I: Text. Paper, xi, 241 pages.
Part II: Notes, Bibliograghy and Indexes. Paper, 242-705 pages.

IX. Gadjin M. Nagao,
An Index to Asanga's Mahayanasamgraha (1994). 2 volumes. ISBN 4-906267-34-3. 2,500 yen.
Part One: Tibetan-Sanskrit-Chinese. Paper, xviii, 152 pages.
Part Two: Sanskrit-Tibetan-Chinese. Paper, x, 154 pages.

こちらは、インド古典叢書のやつの補足版なのでしょう。

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