2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧
店は29日までで、昨日はやり残したことがあってちょっと本郷に寄ってから、銀座のデパート展の後片付けを手伝いに。今日から完全にお休みです。今回は5日まで休みなんで、ゆっくり休みつつ、その間に最後のレポートの仕上げを…目論んでおります。今年でよう…
前回鈴木大拙に触れたこともあって、何となくこちらの本を引っ張り出してくる。同じ仏教とはいえ、中国的な禅とインドの唯識とでは正反対なところがあるようです。一方では頓悟を主張し、他方は三阿僧祇劫という無限な時間の中で修行して初めて悟りを得ると…
昨日の土曜は仕事。久しぶりに仏教書が少しですが入荷しました。以前から市場で少しずつ買っていたもので、モチブツの昭和11年発行の元版もその中に入っております。これは第1〜5巻の本巻に附録と索引が付くだけという全7冊のものです。こちらを読みますと、…
先日こちらの本を通勤電車用にブックオフで購入。『二十世紀を見抜いた男―マックス・ヴェーバー物語 (新潮文庫)』を書かれた方の本。ウェーバーが指摘した、西洋において資本主義の原動力のようなエートスが日本中世にも存在したのではないか?それは、行基…
在学生の方は、すでにご存知かと思いますが、1月から全3回で並川先生による「仏教学入門講座 ─ 仏教の源流・インド ─」という講座が東京・八重洲にて開催されます(参照)。四条センターを東京に、みたいな感じなんでしょうか。これからも東京でこういうの…
一心というと、「一心不乱」、「一心精進」とか、「一心に〜する」など何気なく用いられますが、もとは仏教用語で、その起源をたどると、『華厳経』「十地品」に出てくる三界唯心、十二有支皆依一心という言葉に行き着くのかと思います。その後の唯識思想や…
唯識といいますと、自らの心からすべてが現れるかのような印象があって、自分の心だけで話が完結してしまいがちですが、そもそも唯識的に他者の心はどう考えればいいのでしょうか?当然のことながら、他者(の心)が存在しないというのでは不合理な面がいろ…
日曜日に家の近くの本屋に行って立ち読みして面白かったので購入。正座というのは、明治後半以降に普及したもので、それ以前は胡座(アグラ)や立て膝が主流だった。というより、正座という言葉自体なかったようです。正座の起源は茶道にあると考える方が多…
極微(paramānu)とは、物質の最小の単位で、最も(parama)微細なもの(anu)で、ギリシア語のa-tomに相当する概念です。見ることも触ることも、切ることも壊すこともできず、四角でもなければ円でもない最小単位。1つの極微の周りに6つの極微が集まって…
松本清張『火の路』読了。斉明天皇が斉く(あまねく)明く(かがやく)王と読めるとか、中国における祆教ペルシア人の官職、薩保、薩宝(サッポウ)が日本語になると促音がとれてサホーになり、佐保という地名と符合するなど、真偽の程はよくわかりませんが、…