古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

仏教と資本主義

仏教と資本主義 (新潮新書)先日こちらの本を通勤電車用にブックオフで購入。『二十世紀を見抜いた男―マックス・ヴェーバー物語 (新潮文庫)』を書かれた方の本。ウェーバーが指摘した、西洋において資本主義の原動力のようなエートスが日本中世にも存在したのではないか?それは、行基と彼が主導した大仏建立運動の中に認められるのではないか?という主旨です。その精神は、鈴木正三や石田梅岩などに受け継がれていき、日本の歴史を通して生き続けていた、と。


著者によれば、行基が私度僧を多く作り出したのは、寺院内の坐禅や読経だけで日々を過ごすためでなく、労働によって利他の菩薩行を実践するためであった。それが、結局大仏建立という大事業に結びついていくのですが、何でも大仏殿建立にかかわった技術者と労働者は延べ37万2千75人だそうで、それぞれに賃金が支給されたようです。そういう労働としての利他行を説く背景に、彼が『倶舎論』に書かれている地獄観を広く民衆に教え、その恐怖を植え付けると同時に、地獄に落ちないための生き方としての菩薩行を説いたことが挙げられてます。それが、彼のカリスマ性に繋がったのではないか、とも。そして、その反僧尼令運動に基づく労働倫理というのが、西欧近代資本主義の精神であるカルヴィニズムの教義やピューリタンの考え方・生き方に類似していると著者はいいます。


行基が民衆に『倶舎論』の地獄観を説き、地獄に落ちないための菩薩行を薦めたということの根拠は本書には示されておらず、よく分かりませんが、仏教と庶民の労働倫理というのが結びつくというところに「なるほど…」と思いました。鈴木正三にいたっては、「仏法と渡世の術は同じもの、各各の職分のうちに仏法を見出せ」となります。ともかく、資本主義の精神のルーツは、日本にもあったということになるのでしょうか。


最後に、仏教的にはちょっとツッコミを入れたくなるところもいくつかありましたが…それはご愛嬌ということで(笑)。

(中略)善因善果、悪因悪果、の因果応報の理を説く(本書p.55)

サンスクリットで「ビルシャナ」とは、宇宙全体を遍く照らし出す「光明」の意味です」(p.62)