古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

Sautrāntika

今までやっていたことに一区切りついたので、今度は加藤純章先生の『経量部の研究』を読もうと思い、図書館から送ってもらいました。古書ではなかなか見ないもので、仮に出てきてもすごく高いので、手が出ません(苦笑)。私も1,2回扱った覚えがありますが、こういうのは高くても確実に売れるものです(^^; 

経量部については、加藤先生をはじめ、原田先生、Krizer先生など諸先生方の研究によって、いろいろと面白いことが分かってきています。その一つは、『倶舎論』の中の経量部学説のほとんどが、『瑜伽師地論』の中にトレースできるというものです。となりますと、世親は『倶舎論』を著す段階で(というか最初から!?)すでに唯識説の信奉者であって、経量部としての説は、後に唯識説として展開するものの布石のように読めてくるのです。つまり、経量部というのは架空の学派であり、世親は有部に所属しながら、経量部という仮面をつけて『倶舎論』を書いたことになります。加藤先生に「食えないおじさん」と言われ(参照)、原田先生には「韜晦者」と言われてますが(参照)、そのようにしてまで自らの思想を隠そうとしたのは、所属する教団とは異質な思想を唱えるにはそれなりに周到な操作を行う必要があったからなんでしょう。『倶舎論』の前には、すでに『瑜伽師地論』があり、『摂大乗論』もあったはずです。アビダルマ教義とは異質な瑜伽行派を自ら堂々と宣言するのには躊躇いがあり、まずは経量部という隠れ蓑を置いて、後の唯識思想の展開をスムーズにさせる狙いがあったのかもしれません。


『倶舎論』というと、正直いって私は全体を通して読んだこともなく、難解な内容も手伝ってか、どことなく敬遠しがちでした。しかし、上記のような研究状況が明らかになっている以上、読まないわけにもいかなくなってきました。「唯識三年倶舎八年」とはよく言ったものですが、そのフレーズを聞くたびに、私にとっては何だかダメ出しを食らってる気分です(笑)。

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最近は、安慧の注釈書の梵文写本が発見され、和訳も出つつありますので、今後は注目です。