神々の沈黙

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡以前から人に薦められ、気になってはいたこの本。たまたま新入荷の山の中に入ってて、少しずつ読みはじめる。ほとんどの頁にびっしりと線引きがされてるけど、これじゃ売り物になりませんな…(笑)。


人類に意識が生じたのは、言語能力を持つようになった3000年くらい前だったんじゃないか、例えば『イリアス』には主観的な心・精神活動を表わす単語がほとんどないと著者は言います。それ以前は、意識の代わりに“二分心”という、神々が下す命令の声の部分とそれに従う人間の部分に分かれ、それが一般的な意味でいう意識に代わる位置を占めていた。で、どちらも意識されることはなかった、と。

何らかの判断を為すというような場合、ストレスを感じるということで神の声(幻聴)が聞こえ、その声に従って、無意識のうちに行動する。

イーリアス』の英雄は、私たちのような主観を持っていなかった。彼らは、自分が世界をどう認識しているかを認識しておらず、内観するような内面の<心の空間>も持っていなかった。私たちの主観的で意識ある心に対し、ミケーネ人のこの精神構造は<二分心>と呼べる。意思も立案も決定もまったく意識なくまとめられ、それから、使い慣れた言葉で、あるときは親しい友人、権力者、あるいは「神」を表す視覚的オーラとともに、またあるときは声だけで各人に「告げられ」た。各人は、自分では何をすればよいのか「見て取る」ことができないため、こうした幻の声に従った。*1


二分心(Wikipedia)


こうした二分心というのが、言語進化の最終的段階と重なって、やがては文明の起源となっていくとのこと。本書ではチラッとしか触れられてませんが、『ヴェーダ』についてもそうした二分心の段階だろうと言ってます。


よく、ディレンマに陥ったり、判断が難しい場面に直面したときに、何らかの“神の声”や幻聴が聞こえるということがあるといわれますが、そういうのも古代の二分心の名残りということになるのでしょうか…!?

*1:本書p.99