古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

テクストを疑え!

出たばかりのこちらを早速購入。

テクストとは何か:編集文献学入門

テクストとは何か:編集文献学入門

副題として「編集文献学」という、ちょっと聞き慣れない言葉があります。編集文献学とは、もっぽら近現代のテクストが対象で、古典文献学としては「校訂」という方が馴染み深いですね。どちらも原語(ドイツ語)としてはeditionsphilologieのことだそうです。

古代・中世の写本テクストの場合と近現代のテクストの場合とでは、状況は大きく変わってきます。かたやオリジナルはすでに失われている、かたやオリジナルはいくつもある(印刷前の原稿、初版、改訂版・・・)。校訂というと、その先にある、著者自身によるオリジナルな決定版を確定するという、ある意味理想主義的なイメージにもなりますが、近現代のテクストが示しているように、そもそもその「オリジナル」とは一つだったのか?と本書は問いかけます。多様なテクストから唯一のオリジナル・テクストを復元するというのはそもそも意味があるのか?むしろテクストは最初から多様であり、可変的なものだったのではないか?近現代の編集文献学によって、そのような反省がなされたといわれています。

具体的に、第一章ではプラトンの著作集を例として、その校訂テクストの歴史と新しいテクストの提示までの過程が挙げられていて、参考になります。古典を読むとはどのようなものか?テクストはただ与えられたものを読むだけでなく、各読者がテクストを編集し、校訂し、テクストを疑い、底本とは異なる読み方を取るなど主体的に読むことが求められています。というか、そのような文献学的なスキルを身につけなければ、古典を読むということはできないのではないでしょうか。取り上げられてるのは、プラトン新約聖書ゲーテシェイクスピアカフカムージルなど、西洋の作品のみですが、もっと広く文献学をやろうとする人にとっての良い入門書だと思います。

大乗経典の誕生

平岡先生の新刊が出ましたので、早速買いました。

大乗経典の誕生: 仏伝の再解釈でよみがえるブッダ (筑摩選書)

大乗経典の誕生: 仏伝の再解釈でよみがえるブッダ (筑摩選書)

大乗仏教の起源・誕生については近年いろいろと熱く議論されているところです。本書はその辺にももちろん触れながら、「仏伝」の再解釈、原点回帰としての大乗経典に焦点を当ててます。初期経典、それも古層とされているところでは、ブッダ以外の仏弟子も「仏」と呼ばれ「ブッダ」は普通名詞として用いられていたようですが、のちにブッダの神格化や教団の組織化によって固有名詞化され、唯一の存在となります。伝統仏教のブッダ至上主義に対して、誰でも仏になれるというのは、そういう意味で、いわば原点回帰ということになるようです。そこで、新たな経典を作るに際して、仏伝を手本にし、そこから再び菩薩と、その菩薩になるためにはブッダに会わなければならないというわけで、不滅の法身思想が出てくるところなどを近年の仏教学の成果を取り入れつつ、丹念に解説されてます。


個人的には、そうした大乗経典は一体誰によって作られたのか?という問題の方にむしろ興味はあります。本書でもその辺は最後の方でちょっと触れられてます。平川説以降、最近では出家者との関わりに注目が集まっていますが、現段階では、単一部派の出家者が作ったのではなく、むしろ部派を超えた複数の出家者たちが関わっていたとされています。それは、大乗経典が書写経典であったとされるのにも関連がありますが、部派を超えて(大乗)経典が閲覧できる状況下で、テクスト間のハイブリッド性の中から、大乗経典は生まれてきたのだろうと本書でも結論づけられてます。


今後も更なる研究が俟たれるところです。

大乗のアビダルマ

近年、そのサンスクリット写本が発見され、校訂テキストも出され、注目を集める世親の『大乗五蘊論』ですが、待望の一般向け解説書が出ましたので、早速買ってみました。

『大乗五蘊論』を読む (新・興福寺仏教文化講座)

『大乗五蘊論』を読む (新・興福寺仏教文化講座)

興福寺仏教文化講座のシリーズの中の1冊。一般的にはあまりなじみがない論書かと思われますが、世親の他の著作とはどういう関係なのか、そこに説かれている唯識思想はどんなものなのか、いろいろ興味はあるところです。本書冒頭には「『大乗五蘊論』を読む前に」と題する導入部分がありまして、背景が簡潔に説明されてます。そこにも書かれてますが、これまでは『大乗五蘊論』は『倶舎論』から唯識思想へと変わっていく過渡期の著作とされてきたようですが、近年ではもともと『倶舎論』を書いてる時からもうすでに唯識思想家であったとされるなど、見直されるべきところもありそうです。いずれにしても有部のアビダルマの上に乗っかった、唯識派の立場からの大乗のアビダルマはどういうものか?今後の研究が俟たれますが、とりあえず、本書をこれからじっくりと読ませていただくことにしましょう。


以下はその写本校訂テキストと安慧の註釈本です。

Vasubandhu's Pancaskandhaka (Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region)

Vasubandhu's Pancaskandhaka (Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region)

  • 作者: Toru Tomabechi,Li Xuezhu,Ernst Steinkellner
  • 出版社/メーカー: Austrian Academy of Sciences
  • 発売日: 2008/12/31
  • メディア: ペーパーバック
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Sthiramati`s Pancaskandhakavibhasa: Diplomatic Edition (Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region)

Sthiramati`s Pancaskandhakavibhasa: Diplomatic Edition (Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region)

高野山

高野山へ行ってきました。今年は、816年に弘法大師空海密教道場をこの地に開いてから1200年の記念の年にあたるそうで、印仏学会もそれに合わせて9月19・20日に高野山大学で開催されました。高野山というと、以前近くまで本の買取で来たことがありましたが(笑)、それ以外では初めて。というわけで、時間を見つけては金剛峯寺、壇上伽藍、奥の院などを廻ってみました。連休と重なったため、土日は結構な人出だったようです。記念品として、「高野山大学図書館蔵善本撰輯」という冊子が配布されましたが、大学図書館では、その特別展観が開かれてましたので、高野山大学OBの知人に案内していただいて、見させてもらいました。あとは、霊宝館にも行って国宝の数々を見させてもらいました。私が泊まった宿坊のすぐ近くが壇上伽藍で、夜はライトアップされてなかなかの迫力がありました。


山の上は朝晩は結構肌寒く、長袖のシャツ一枚では辛かったです。宿の朝食会場には早くもストーブが置かれてました。また夜も早くあたりは真っ暗となるため、懇親会後の20時過ぎに真っ暗な道を一人宿に戻る時など、下界では滅多に味わえない気分を味わいました。懇親会では、職業柄、普段うちの店をご利用いただいてる先生方をお見かけしてはご挨拶をして回ってました(笑)。最近は、古書市場の役員など古本屋にどっぷりはまってしまってますが(苦笑)、いろいろな先生方の凄いご発表を拝聴して、研究者としての自分(半人前ですが)を再確認するには十分なイベントでした。パネル発表のvikalpaとprapañcaのやつは聞きたかったのですが、時間の都合上、その前に帰らざるを得なかったのは残念でした。


片道7時間、こちらの本1冊を読むにはちょうどよい時間でしたが、聖地というのはそういう場所にあるものですよね。

高野山 (岩波新書)

高野山 (岩波新書)

ヤスパース・ルネサンス

今年はヤスパースという哲学者がひそかに注目を集めそうです。ドイツ本国で初めての全集(Karl Jaspers Gesamtausgabe)が刊行されるからですが、その日本語版もそのうち出る計画があるようです。ヤスパースというと、今どれだけ読まれているのかよく分かりませんが、個人的には結構注目してます。一般的には、実存哲学という範疇に括られますが、それのみならず、インド学者ハインリッヒ・ツィンマーとも交流を持ち、仏教やインド哲学(特にシャンカラ)から大きな影響を受けて、それらを自らの哲学に取り入れ、哲学の世界史というのを構想しているからです。そのキーワードである「包括者」にインド哲学からの影響を見てとれますし、「マーヤー」などの用語も見受けられます*1


これまで彼の邦訳著作は、理想社から昭4、50年代に選集が刊行されてますが、それも最近はあまり見ることがなくなりました。この選集、全37巻ということですが、揃っているのを見たことはありません。特に最後の方の巻は見ないですね。入門書や解説書の類いも多くはありません。ただ、彼の『哲学入門 (新潮文庫)』は昭和29年に出て以降版を重ねてますし、それなりに読まれてるのだと思います。入門とはいっても、「包括者」「限界状況」など独特なキーワードが挿入されてますので、ヤスパースによる「哲学入門」というのが相応しいかと思います。今回の全集を機に新しくいろいろ出て来て欲しいとは思っていましたが、そんな中、こちらの本が出ましたので、早速購入しました。

ヤスパース入門 (シリーズ・古典転生)

ヤスパース入門 (シリーズ・古典転生)

ヤスパースルネサンス」と帯文にはあります。同時代のハイデガーなどと比べてしまうと、人気という点ではその陰に隠れてしまいがちですが、「西洋哲学の黄昏から世界哲学の夜明けへ」と視野を広げ、「科学とも宗教とも異なる独自の知的実践を追及しつづけた」哲学者の新たな入門書に期待です。


本の売れ行きは鈍いですが、今後、より注目が集まることを期待してます!

*1:その辺は『ヤスパースの存在論―比較思想的研究』に詳しいです。この本は、ヤスパースとインドの関わりに焦点を当ててます。

バガヴァッド・ギーター詳解

バガヴァッド・ギーター詳解出たばかりのこちらを早速購入。買ってもすぐに読むというわけではないのですが・・・。全18章700の詩節を全訳。構成としてはまずは各和訳があって、それぞれの詩節に対する解説が続きます。この解説部分と、「現代人にもわかる明解な言葉で」というのが本書の特色といえるでしょう。これまで出ていたものは、服部訳、宇野訳、辻訳、鎧訳、上村訳、田中訳など各種あります。それぞれ趣向が異なってますので、一概に比較するのもどうかとも思いますが、パラパラとめくって目に付いたのですと、例えば、「叡知」(ブッディ)、「真知」(ジュニャーナ)、「放棄」(サンニヤーサ)、「善性要素」(サットヴァ)、「暗性要素」(タマス)・・・などの語が目に入りました。各訳の特色、その先にある原意を味わいながら、これからじっくりと読んでみようと思います。

こうした翻訳にまつわる例として、ヘーゲルの『精神現象学』がよく引き合いに出されます。専門家なら金子武蔵訳を手元に置きたいでしょうが、日本語として読むなら長谷川宏訳でしょう。ギーターだったらどうでしょう??辻先生のは読んだことないのですが、鎧先生のは註記や韻律への配慮など専門家向けという感じですが、訳が独特ですよね!上村先生のは読みやすいですし、『バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)』とセットで読めるので、最も広く読まれてると思います。などと思っていたら、すでにその辺を比較されているこちらを発見。「鎧淳先生は松尾芭蕉」というのは言い得て妙かと思いますが(笑)!?、それはさておき、今回新しく出たものは、当然この辺を全て消化した上での新訳ということになるんでしょうが、ざっと見た限りでは、上村先生のに近く、ヘーゲルでいえば長谷川訳だと思います。


あと、こちらも買っておきました。ちょうど一年前に出ていたものですが、歴史と教理内容がコンパクトにまとまってる便利な本。

ランカーの場所についての諸説

龍樹と龍猛と菩提達磨の源流 サータヴァーハナ王朝・パーンドゥ王朝・ボーディ王朝ランカーの場所については、今までここで触れてきましたが、先日こちらの本を書店で見かけ、立ち読みしているとその辺について結構触れられていましたので、購入して飛ばし飛ばし読んでみました。この本は佐々井氏の口述をもとに書かれているので、註記が全くなく、参考文献等が示されていないのですが、その辺は自分で調べて参考にさせていただきました。

ランカーの場所をめぐっては諸説紛々といった感じですが、ともかく、「ランカー≠セイロン島」と考える研究者は多いようです。

佐々井氏の説ですが、氏はランカーを町というよりも国・地域として考えているようで、それはヴィンディヤ山脈以南の中部インドであり、その中心部がナグプール周辺地帯じゃないかというもの。氏の言う、ヴィンディヤ山脈以北をブラフマ・ヴァラタ(国)あるいはアーリヤ・ヴァラタ、そして以南をランカー・ヴァラタと呼ばれていたという指摘は、興味深いところです。その説に従えば、「ランカーに入る」という経典名も、原住民が住む(差別的なニュアンスも込められた)地域へ入るということを意味することになってきます。アマラカンタカをランカーとしている研究者もいますが、佐々井氏はそれ以南一帯をランカー国とみているようです。


この他にも、例えば、ゴーダヴァリー盆地説やモルディブ説などもあって、真偽の程はよく分かりません。セイロン島でないとすれば、中~南インドにかけての可能性が高いということなんでしょうが、ともかく、そこにおける上座部教団、それも保守派からみれば割と自由な、例えばヒンドゥー教とも融合したような大乗上座部、そこに所属する僧侶たちが楞伽経の作者といえるのではないか?一応、現段階における(個人的な)結論としてはそうなります。

The Geographical Dictionary: Ancient and Early Medieval India

The Geographical Dictionary: Ancient and Early Medieval India

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