ブッダたちの仏教
自分の場合、新書って通勤電車内で読むのに最適なので、気になるのはちょくちょく買ってます。まずは、こちらの並川先生の新刊本。
並川先生は授業もお聞きしましたし、それ以外にもいろいろとお世話になっております。今回の本は先生のこれまでのご研究を一般向けに書かれた感じで、面白く読ませていただきました。
まず、タイトルに「ブッダたちの」とありますが、歴史上、阿弥陀仏や毘盧遮那仏などいろいろなブッダがいるものですが、そうした他方仏を説く大乗仏教以前のゴータマ・ブッダ在世当時のインド宗教世界でも、複数のブッダがいたというのは意外と知られてないのかもしれません。当時は、ゴータマ以外にも修行を完成した人は皆「ブッダ」と呼ばれていたといいます。
矛盾した記述も見られる初期経典は、ゴータマ・ブッダの教説たけでなく、そうした複数のブッダたちの教えの集積と見るべきで、仏教っていうのはそういう宗教だと私も思います。
その次はこちらを今読んでますが…
読んでる途中で、こちらをたまたま入手したので、一旦中断してこっちを読んでみました。
荘子を読むというよりも、そこから哲学的、形而上学的な問題を取り出してきて、それについて、ああでもないこうでもないという話が延々と続く感じな本です。結構難しいことがサラッて書いてあって、考えさせられながら、読んでました。
世界の始まり、世界の果ては有るのか、無いのか、有るのでもなく、無いというわけでもない?有限でも無限でもないということは大きさをもたないことになる?しかし、現に今こうしてあるじゃないか?こうした言語の限界というところで、荘子とヴィトゲンシュタイン、カントが交差するみたいなそんな感じ(笑)。
タイトルにあるように、日曜の暇なときにソファに横になって読むのがいいかも。通勤電車内で読んだら、確実に寝落ちできます(笑)。