古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

スリランカの大乗仏教

発売されたばかりのこちらを入手。発売当初はAmazonはじめネットでは一時的に在庫切れとなっていて、注文出来ませんでした。そんな折、ふと日本の古本屋で検索してみると、あるではないですか!しかも新本同様!!というわけで、即注文。あっという間に手元に届きました。

スリランカの大乗仏教 文献・碑文・美術による解明

スリランカの大乗仏教 文献・碑文・美術による解明

部分的には論文のコピーで読んでいたのもあったのですが、関心を持っていたところでしたので買ってしまいました。スリランカ大乗仏教というと、以前スリランカ展で見た二万五千頌般若経の黄金板断簡を思い出します。全体として黄金の板100フォリオ以上にもなっただろうと考えられるものが作られた当時は、紛れもなく大乗仏教の国だったのでしょうが、まだまだわからないことが多いテーマです。スリランカ大乗仏教がどんな形態だったのかというのは、そのままインド大乗仏教がどういう形態だったのかを解明する手がかりにもなりそうなんで、興味を持ってます。


ちなみに、9月に高野山で開催される印仏学会では、その辺に関係することで発表してまいります。内容としては、楞伽経の韻律を調べた結果として、その作者が上座部教団の僧侶だったといえるのではないか?というものです。スリランカ上座部だとすると、無畏山寺派(アバヤギリ派)ということになるのですが、果たしてランカーをセイロン島と見ていいのかイマイチよく分からないので、その辺に疑問は残るのですが、ともかくご意見ご批判をお待ちしております。プログラムはこちらです。

チベット語の般若心経

先日、ここをご覧いただいたという方から、店に電話がありました。そのRockwellの本を入手したいそうなんですが、品切れになっているようで、入手困難な状況であると。調べてみますと、確かにamazonではOut of Printとなっていて、古書の検索サイトで見てもヒットしません。版元のサイトを見ると、まだありそうな感じにも見えるのですが、どうなんでしょうか?


チベット語といえば、ちょっと前にこちらの本が出ました。護国寺に移ってからのカワチェンでやっていた講座の書籍化。行きたいとは思ってたのですが、仕事もあって行けなかったので、本になって喜んでおります。

チベット語の般若心経―対訳と解説

チベット語の般若心経―対訳と解説

本文と対訳、逐語解説があり、とりあえず文法を一通り終わらせた方なら、独力で読めるような感じになってます。それだけでなく、チベット語の文字と発音、助詞についても説明があり、これからチベット語を学ぼうとされる方が手に取れるような計らいもされてます。さらに、六道輪廻図の解説や複数の速度で朗読したのを収録したCDも付いてます。詳しくはこちらをご参照ください。

同じような趣旨のサンスクリット版としてはこちらが出てますね。

サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる   アスカカルチャー

サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる アスカカルチャー

こちらの本は、和訳・英訳、チベット訳の諸訳を対照して意味を考えているところもあって、興味深い点もあります。明日香出版というと実用書・ビジネス書のイメージが強いので、どうなのかなと思って手に取ると、なかなかどうして結構本格的な本だったのを覚えてます。ビジネス書のコーナーに置かれてることが多かったですが、その棚からはかなり異彩を放っているのを見たものでした(笑)。


梵文の南条ミューラー本は最近はもうオンデマンド本で流布しております。現代語訳は、中村・紀野訳『般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)』、金岡秀友訳『般若心経 (講談社学術文庫)』、渡辺照宏訳(世界の大思想2-2仏典)、立川武蔵訳(『般若心経の新しい読み方』)をはじめいろいろ出てますが、このチベット訳と照らし合わせてみるのも面白いと思います。梵文の方は、正規のサンスクリットとしてはちょっとおかしいところもあり、初学者がいきなり読むのはどうかとも思いますが、チベット訳を参照して読むと理解も進むというものです。そういう意味では、上記のチベット語の対訳本は、一般向けに画期的な本といえるでしょう。

比較思想と逆さ日本図

f:id:furuhon-ya:20150619172129j:plain:w150:right先日は、東洋大学比較思想学会がありました。すぐ近くでしたので、行ってみようかと思いましたが、いろいろとやらなきゃいけないことが目白押しだったので、今回は(今回も?)パスしてしまいました。残念。個人的には非常に興味がある学会で、いずれは私もそういう場で発表ができるような研究が出来れば・・・と夢想してますが、まずは目の前のことを片付けてから、ということになってしまいますね。今やってることの先がなかなか見えてこないという状況では、何とも・・・(苦笑)。比較思想学会といえば、偶々こちらの本を持ってます。20年くらい前に出た本で、その時点での欧米、アジアにおける比較思想の三十年の軌跡ということで、結構なボリュームです。比較思想学会の設立の経緯をはじめ様々な裏話も散りばめられてます。比較思想といいますと、東西の哲学、両者に通じる必要があってハードルは高いですし、それぞれの分野の研究者からは敬遠されがちなジャンルではあるのですが、『比較思想論 (岩波全書セレクション[I])』とともにその魅力を伝える1冊ではあると思います。


さて、最近、近代日本哲学関連の入門書をいくつか入手したので、読んでました。

入門 近代日本思想史 (ちくま学芸文庫)

入門 近代日本思想史 (ちくま学芸文庫)

この本は、教科書スタイルですが、明治の揺籃期から、坂部、広松、大森あたりまで網羅されてます。注目は、1970年代に川田熊太郎、中村元井筒俊彦ら比較哲学の潮流が起こってくるのを思想史的に位置づけている部分。簡潔ながらも大まかな見取り図を得たいという向きにはぴったりですが、現在は品切れのようです。

日本の哲学をよむ: 「無」の思想の系譜 (ちくま学芸文庫)

日本の哲学をよむ: 「無」の思想の系譜 (ちくま学芸文庫)

こちらは以前出ていたちくま新書版に「田辺元」を増補したものなので、新たに購入。科学哲学からマラルメまでと、かなり幅広い田辺の業績を簡潔にまとめ上げるというのは結構キビシイなというのが率直な感想。そろそろ新しい全集が出てきそうな予感を持ってますが、どうなんでしょう・・・。以前は結構な古書価が付いていた全集の価格が下がってきたのも、そういう感覚があるからなのかもしれません。

清沢満之が歩んだ道

清沢満之が歩んだ道

こちらは非常に読みやすい清沢満之入門書。西田の絶対矛盾的自己同一の背景に清沢がいるというのは聞いたことありますが、西田哲学への影響など興味深く読ませていただきました。

哲学の現場 日本で考えるということ

哲学の現場 日本で考えるということ

あと、こちらは再読。自分が仏教をやってるせいか、やっぱり面白いこの本。再読してもその感は強くなりました。頷きながら、読めてしまう。まさに中村先生がいうところの、東洋と西洋が同じ土俵に立って議論をすればいいじゃないかというような本だと思います。そういう意味で、比較哲学の可能性と示唆に満ちていると思います。

日本哲学原論序説: 拡散する京都学派

日本哲学原論序説: 拡散する京都学派

最後に、出たばかりのこちら。買ったばかりでまだ読んでないのですが、書き下ろしの序章と終章にまずは眼を通す。終章の「日本哲学の多元性へ」で、網野善彦が示した逆さ日本図が転載されていたのが印象に残りました。この図から見えてくるのは、日本が孤島というよりもアリューシャン・千島からフィリピンにかけての環太平洋の連鎖する島であることと、アジア大陸の突端に位置して大陸から押し寄せてきたた文化の最果ての地だということ。この図は、そうしたハイブリッドな日本哲学を考えさせるに十分なものに思われました。

インド・グリーク

先日たまたまこちらの本を入手しました。

異端のインド

異端のインド

ネットで検索してみますと、この本についての書評のようなものがあまり見られないので、どのように受け取られてるのか分かりかねますが、面白そうなので買ってしまったのでした。異端というのは、あくまでも正統のバラモン教に対するというもので、仏教などのことを指すという意味。異端の多くがギリシア系民族との交流地点であったインド西北部から流入してきたということで、そこにスポットを当て、アショーカ王、メナンドロス王とナーガセーナの対論、カニシカ王の大塔、聖トマス伝説などを、考古学の成果も取り入れつつ紹介されてます。中村先生のこちらと被る感じの本といえばイメージが湧くかもしれません。
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f:id:furuhon-ya:20150502130024j:plain:w200:rightよく知られてるように、紀元前2世紀あたりから、紀元1世紀までギリシア人の王国がインド西北部には存在してました*1。そこに住むギリシア人(Indo-Greek)の中には仏教徒が多くいたことが知られてます。中村先生によれば、説一切有部の典籍の中にギリシア人と交渉があったことが窺える記述があるみたいですし、あのミリンダ王経はプラトンの対話篇の形式ですし、原型はギリシア語だったのでは?という話もあります*2

実際、仏教史を見渡してみますと、ギリシア的な側面を考慮に入れると、すんなり理解できる点はいろいろあろうかと思います。仏像の出現はもちろんのこと、その仏像の成立とも関係する般舟三昧とか、アビダルマ哲学、アトムを思わせる極微説…。そういうのの陰に、この仏教徒としてのインド・グリークを想定できるのではないかと思われます。何より興味深いのは、説一切有部が勢力を持っていたとされるインド西北部と上記のインド・グリーク朝の勢力図が(場所的にも時代的にも)重なるというところです。前にも触れたインド土着思想 vs. ギリシア哲学というのもあながち、無理な話でもないと思えてきますし、そういう意味ではインド・グリークの存在はインド仏教史において重要なポイントのようにも思えてきます。


調べてみますと、上記『異端のインド』に関係するものとして「グノーシス思想とインド」という論文がありました。ざっくりいって、グノーシス思想にインドからの影響を考えてもいいのでは?という内容かと思いますが、西洋の仏教研究者の間では、大乗仏教グノーシス運動の一環として(普通に)考えられていると聞いたことがあります。サンスクリットのPrajñāのjñāと、ギリシア語のGnosisのgnoが同じ「知る」という語源から来てるというのにもそれは表われています。


そういえば、こういうのにぴったりな本を最近見つけました。内容についてはこちらで参照できますが、大乗仏教の根幹ともいえる般若波羅蜜や般舟三昧なんかがギリシア文化と密接に関係して、インド・グリークとの共同作業によって成り立ったことがよく分かる本で、もっと知られていい本じゃないかと思います。

形相と空

形相と空

ヴェーダーンタ

いつのまにか新年度となっておりました。仕事の方は年度末だったこともあり、出張買い取りなどバタバタしてました。今月もまた数千冊規模の買い取りが控えておりますので、倉庫整理と店の在庫整理に日々励んでます。

f:id:furuhon-ya:20150402173219j:plain:w160:rightここ最近は専ら印哲関連の本を、分かったような分かってないような、そんな感覚にとらわれたまま、読み漁ってました。先日の村上先生のをはじめ、手頃なものを気づいたものから。英文ですと、Dasguptaの印哲史はボリュームもあって読めそうもないし、店にあっていつでも参照できるので、Frauwallnerの2巻本をとりあえず取り寄せました。村上先生のは索引があるので、気になる単語が出てきた時、調べるのにとても便利。あとは、中村先生のこちらも有益でした。決定版選集もゆくゆくは揃えたいですね。


私が読んでいる楞伽経の成立年代は4世紀~5世紀初頭ですが、その時代のインドといえば、グプタ王朝下に国教化されたヒンドゥー教の影響で、仏教のバラモン教化、ヴェーダーンタ化が進んだ時代といわれてます。アビダルマの多元論から、龍樹を経てアーラヤ識一元論へ、という流れ。楞伽経の如来蔵=アーラヤ識もヴェーダーンタにおけるブラフマンの定義とほとんど変わらないものになってますが、『ブラフマ・スートラ』もその辺りに成立してますし、ヴェーダーンタ一元論化した仏教が接近していた時代といえそうです。前回ヨーガ学派とのつながり云々を書きましたが、その他にもヴェーダーンタとの関係もあって、仏教とヒンドゥー教各派、それぞれの影響関係はどうなってるのか、その辺で何か書けないか、いろいろ考えているところです。

そうなりますと、ちょっと前に復刊されましたこちらの名著が気になり始めてきました。旧版(といっても内容は同じ)はかなり値が下がってきましたので、今が買い時かも(笑)。

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前田先生の『ヴェーダーンタの哲学―シャンカラを中心として (1980年) (サーラ叢書〈24〉)』とともに、こちらも必読か。

ヴェーダーンタ思想の展開―インド六派哲学 (決定版 中村元選集)

ヴェーダーンタ思想の展開―インド六派哲学 (決定版 中村元選集)


とりあえずは、ヨーガ・バーシャを読むとしますか…。

ヨーガ学派と唯心思想

f:id:furuhon-ya:20150117181127j:plain:w200:right私が読んでる経典には、サーンキヤ関連の用語というのがポツポツと出てきます。初めはそれほど気にも留めなかったのですが、最近になって何だか気になってきました。今までは仏教内部の影響関係ばかりに目がいってたのですが、もう少し広くインド諸思想に目を向けてみないといけないのでは、と思うようになったわけです。よく考えてみたら、それはある意味当然のところなんだろうと思いますが、恥ずかしながら、その辺の知識がなかったので、まずはこちらを買って一通り勉強しなければと思いました。入門書としては、他に『インド思想史』『インド思想史 (岩波全書 213)』など持っていますが、この本は質、量ともに、私には充分な“概論”だと思いました。


f:id:furuhon-ya:20150124181314j:plain:w200:rightあと、ヨーガ・サーンキヤに関してはこちらも必読か、と思いましたので、購入。仏教と他学派との間に、同じような思想があるというのは結構認められるところだと思います。とりわけ「心」を重視するヨーガ学派は明らかに仏教からの影響を受けているようですが、一方から他方への影響によるものなのか、あるいはお互いの影響関係によるものなのか、その辺はよく分かりません。でも、(私が読んでる)経典作者がヨーガ・サーンキヤを念頭においていたことは確かだと思います。何かと同じような言葉を使っていると思われるところが多く、気になっているところです。同じ言葉でも、仏教と他では意味が微妙に異なってくるところもあります。そう考えると、仏教用語としてだけでなく、違った立場の視点からも読めることにもなり、意味合いがちょっと違ってくるのではないか、と。ヨーガ・スートラの成立は4~5世紀頃といわれますが、考えてみれば、ほぼ同じ時代に仏教では、ヨーガの実践を重んじるヨーガーチャーラが『瑜伽師地論』というヨーガの百科全書をまとめてます。時を同じくして、ヨーガというのが組織立ててまとめられたというのも興味深いところです。ヨーガ・スートラの中に、仏教の唯識派を批判していると取れる部分がありますし、ヨーガ学派と仏教は、相互に何らかの影響を及ぼしていたと見るのが妥当なんじゃないかと思います。


解説ヨーガ・スートラ

解説ヨーガ・スートラ

こちらも必読品ですね。しかし、『ヨーガ書註解―試訳と研究 (1978年)』は欲しいけど高いですな…。昨年末の市場で買った中に入ってましたが…。


あと、ちょっと前に出たこちらは買いたい。

ヨーガ・スートラ: パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付

ヨーガ・スートラ: パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付


最後におまけ。こちらは、先日の洋書会で見つけて、山の中にあったのを個人的に分けてもらいました。

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ひとつのインド、いくつものインド

古代インドの思想: 自然・文明・宗教 (ちくま新書)2015年も、よろしくお願いいたします。


こちらは正月休みに読んだ本です。この本のユニークな視点は、古代インドの思想を自然環境、気候変動という点から見てみようというところにあります。

インドでは多くの場所で一年中高温で、大気が乾燥して霞も靄も出来にくい、そして地形の高低さもそれほどあるわけでなく、光の量も多いので、雨季を除けば、驚くほど遠くまで見通せる。そうしたインドの大地では、個人が「無限」とか「永遠」というものに対峙できる環境が用意されている。また、暑さや乾燥が激しいなど、過酷ではあるものの、多大なる恵みをもたらす自然環境下にあるインドでは、勤勉さを尊び蓄財を奨励するような精神風土は生まれなかった。そういう土壌に生まれる宗教は、総じて「完全なる放棄」や「無所有」を説くようになる。つまり、「行為」というものに積極的な意味を見出さず、作為よりも無為に価値を見出すことになる。

そして、気候学者・鈴木秀夫らがいうところの「森林の思考」「森の宗教」*1というのも出てきます。アーリア人は、漸次南東方面へ進んでいったと思われますが、その中で「森の民」と遭遇し、かつ混血・同一化していったと思われる面があるからです。

ユダヤキリスト教などセム系宗教は、歴史に始めと終りが設定され、時間も一方向的に流れ、現象の一回性が顕著である。こうした砂漠的思考に対し、熱帯の森では生物の生長が早く、朽ち果てたものから次の生命が自然に生まれる。万物に始めも終りもなく、生滅を繰り返しつつ全生命が継起していく。自然全体が無限の時間の中で生死を繰り返し、人間も流転する。つまり輪廻の考えが生まれてくる。

こうした自然との関わりの中から、ヴェーダの神々、仏教、ジャイナ教などがいかに生まれたかということをコンパクトにまとめられてます。自然環境との関係を軸に、インドの宗教を捉えているところは興味深く読ませていただきました。ともかく、インドといってもその地域によってかなり風土的な多様性があるという点は考慮されるべきなのではないかと思われます。本書の中にもあった言葉で、「ひとつのインド」「いくつものインド」というのがあります。インドは、地理的に周囲を山脈や海に囲まれ、独立した空間として緩やかに一つに括られている反面で、様々な風土的多様性を内部に宿し、言語や文化も多様です。


この点はうすうす感じてはいたところですが、気候風土も含めた地域的なまとまりから、インドの仏教を捉える視点も面白いのでは、と思いました。

*1:森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)