古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

インド・グリーク

先日たまたまこちらの本を入手しました。

異端のインド

異端のインド

ネットで検索してみますと、この本についての書評のようなものがあまり見られないので、どのように受け取られてるのか分かりかねますが、面白そうなので買ってしまったのでした。異端というのは、あくまでも正統のバラモン教に対するというもので、仏教などのことを指すという意味。異端の多くがギリシア系民族との交流地点であったインド西北部から流入してきたということで、そこにスポットを当て、アショーカ王、メナンドロス王とナーガセーナの対論、カニシカ王の大塔、聖トマス伝説などを、考古学の成果も取り入れつつ紹介されてます。中村先生のこちらと被る感じの本といえばイメージが湧くかもしれません。
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f:id:furuhon-ya:20150502130024j:plain:w200:rightよく知られてるように、紀元前2世紀あたりから、紀元1世紀までギリシア人の王国がインド西北部には存在してました*1。そこに住むギリシア人(Indo-Greek)の中には仏教徒が多くいたことが知られてます。中村先生によれば、説一切有部の典籍の中にギリシア人と交渉があったことが窺える記述があるみたいですし、あのミリンダ王経はプラトンの対話篇の形式ですし、原型はギリシア語だったのでは?という話もあります*2

実際、仏教史を見渡してみますと、ギリシア的な側面を考慮に入れると、すんなり理解できる点はいろいろあろうかと思います。仏像の出現はもちろんのこと、その仏像の成立とも関係する般舟三昧とか、アビダルマ哲学、アトムを思わせる極微説…。そういうのの陰に、この仏教徒としてのインド・グリークを想定できるのではないかと思われます。何より興味深いのは、説一切有部が勢力を持っていたとされるインド西北部と上記のインド・グリーク朝の勢力図が(場所的にも時代的にも)重なるというところです。前にも触れたインド土着思想 vs. ギリシア哲学というのもあながち、無理な話でもないと思えてきますし、そういう意味ではインド・グリークの存在はインド仏教史において重要なポイントのようにも思えてきます。


調べてみますと、上記『異端のインド』に関係するものとして「グノーシス思想とインド」という論文がありました。ざっくりいって、グノーシス思想にインドからの影響を考えてもいいのでは?という内容かと思いますが、西洋の仏教研究者の間では、大乗仏教グノーシス運動の一環として(普通に)考えられていると聞いたことがあります。サンスクリットのPrajñāのjñāと、ギリシア語のGnosisのgnoが同じ「知る」という語源から来てるというのにもそれは表われています。


そういえば、こういうのにぴったりな本を最近見つけました。内容についてはこちらで参照できますが、大乗仏教の根幹ともいえる般若波羅蜜や般舟三昧なんかがギリシア文化と密接に関係して、インド・グリークとの共同作業によって成り立ったことがよく分かる本で、もっと知られていい本じゃないかと思います。

形相と空

形相と空