古本屋の研究日誌

古本屋として働きながら博士号を取得するまでの軌跡

時間がない!

やはり、時間がないですね…。私の場合、平日に家で捻出できる時間はせいぜい1,2時間。1偈について、写本を読むのに1本3分かけるとして、それが30種あるので、1偈読むのに1時間半は最低かかる計算になります。もっともそれはすんなりいった場合の話で、よく分からない偈であったり、異読が多かったりすると、もっと時間を取られることになります。

 

もちろん、ただ読むだけでなく、漢訳と蔵訳を参照した上で、それを校訂するとなるとさらに時間もかかりますし、よく分からないことがあれば、そこで、足踏みをすることになります。

 

読むべき偈は全部で880あるんで、こんなペースじゃ、終わらないと思います、たぶん。嗚呼…(笑)。

 

そこで、通勤時間中など外出時もやらなくては…となるわけですが、このたび、新たにこちらを買ってみました。

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最近は、Androidの方で、格安で充実したスペックのものが出てますので、思わずポチッとしてしまいました。

 

一日ニ偈、最低それくらいは進むといいんですが😅

写本上の記号

間が空いてしまいました。相変わらず写本の方を読み進めています。

 

前にも書きましたが、気になる点を確かめるため、もう一度最初から全ての写本を読み返してました。結局ダンダは写本によって様々、ということを確認出来ましたが、ただ、それで済まされてしまうものでもないのかなというのが現在での所感です。ちょっと遠回しな言い方になってしまいますが😅

 

あと写本を見ていて気になる表記がいくつかあったのですが、その一つの意味が分かりました。以下のような文字の上に付された傍点。

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これって、今でいうニ重線、つまり削除の意味なんじゃないかと思います。これが付されてる語句が共通して、余分なもので、他の写本では見られないものだというのに気づいたからです。

 

初めは強調の意味なのか?と思ってたのですが、どうもそうではないらしい。強調の意味で傍点を付けるのは今の我々の論理で、時代も環境も違えば、記法も異なるわけですね。

 

今のところ、一日、ニ偈くらい進めばいいのかなと思ってます。終わるのか…😅

同じ写本に気づく!

ちょっと間が空いてしまいました。私生活でいろいろありまして、バタバタとしておりました。3月も後半に入り、大学からは4月からも継続して在学するかの意思確認の通知が来ておりました。もちろん継続ですが、今年の11月の博論提出は黄色信号です(゜-゜)

 

相変わらず写本を読んでおりますが、NGMPPの写本23種のうち、3本が同じ写本であることに最近気づきました。あと、それとは別に2本が同一写本であることにも気づきました。気づいたきっかけは、特徴的な誤記をしていた2種の写本を見つけ、よくよく見てみると、全く同一の写本じゃないか!となったわけです。数が多いだけに気づくのに時間がかかりましたが、ま、見るべき写本が減ったのは助かります…。

 

さて、従来の翻訳を革新している光文社古典新訳文庫から、ついに仏教の古典も出ることに!

 

まだ買ってないのですが、読むのが楽しみですね~。

 

写本が揃う

ドイツのネパール梵文写本保存プロジェクト(Nepal-German Manuscript Preservation Project)の写本の残りのスキャンデータが送られてきました。これで同プロジェクトが所有している経典が全て揃いました。

 

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早速読み始めまして、それらの写本が私が読んでいる部分を含んでいるか、チェックしました。うち2本はごく短い写本で、該当箇所はなかったのですが、他はどれも大部の写本で、該当箇所は含まれていました。

 

NGMPPの写本が23種(うち2種は当該部分は含まれず)、イギリス王立アジア協会1種、東大6種、パリ国立文書館2種、ケンブリッジ2種、その他書籍版で2種の写本が揃いました。いやしかし、これだけあると全部見切れるのか不安しかありませんが、ともかく鋭意進めていくのみです。

 

 

そういえば、先に別の章を校訂された高崎先生の研究を取り出してみると、私が前から何度か言及していたダンダの問題も既に指摘されてました。先行研究はしっかりと見ないといけませんね(苦笑)。高崎先生の優れた研究は校訂をする上で非常に参考になります。そこでは、NGMPの写本が7種見られてます。その研究を参考にして、私も取り組んでいきたいと思ってます。

 

そういえば、印仏研の発表申し込みが始まりましたので、一応申し込んでおきました!

近代のサンスクリット受容史

先日購入した本です。西村先生の以下2点。

こちらは新版(増補)が出たので、改めて買ってしまいました。

 

ついでに、我が国においてサンスクリットの教科書としては最初期のもので*1明治41年に出たこちらも買ってしまいました!

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内容はこちらから見れます。シュテンツラーの"Elementarbuch der Sanskrit-Sprache"を翻訳したものです。シュテンツラーのその本は、ドイツ語圏において150年以上にもわたって、初級サンスクリット文法の教科書として用いられた定評あるもので、それを我国でも取り入れたというわけですね。

 

この本の7年後の大正5年には、これを改訂する形で、あの『実習梵語学』が出るわけです。この本は、以後昭和の晩年まで30版以上も版を重ね、平成には吹田先生による新訂版*2も出て、我国におけるサンスクリットの教科書としては最も普及した本になります。新訂版によってよみがえり、今後もまた版を重ねていくとと思います。

 

ちなみにこちらは大正5年刊(丙午出版社)の初版本です!年代を感じさせますね。

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こちらもデジタル・ライブラリーで公開されてます。昭和に入ってからは丙午出版社から明治書院に版元が変わり、別冊として字書が附録として付くようになります。あるいは、この初版から別冊が付いていたのか定かではありませんが、私が持っている初版本には付いておりません。

*1:榊亮三郎『解説梵語学』明治40年刊が近代においては最初の文法書になるかと思います

*2:

実習サンスクリット文法

頭の痛い問題

ドイツのネパール写本ですが、前回ちょっとダウンロードに手間取ったので、今回はUSBメモリで郵送という形になりました😅

 

さて、先日来、気になってました写本のダンダの問題ですが、例えばこちらを読みますと、写本によってバラバラで、ついていたりそうでなかったり…というのはやはりそうなのかと納得。はじめは、これは!と思いましたが、自説の論拠としては参考程度にしかならないのかもしれません…。

 

ただ、気になるのは、ハーフダンダとダブルダンダの付き方。それによっては詩節の組み合わせが異なってくるんじゃないか?写本によって、詩節の組み合わせはバラバラだったといえるんじゃないか?という点はもうちょっと調べる必要がありそう。それとともに、韻律もどうなるのか…というところでしょうか。

 

韻律については、かつて調べて論文を書いたことがありますが、ただ、その論文は今読んでる写本を反映していない校訂本テキストに基づいたもので、新たな校訂テキストが出来た際にどうなるか?という頭の痛い問題😅があって以前から気になってました。実際、それを発表した際もある先生からそういう指摘をいただきました。

 

韻律については、最近こちらを買ってみました。

 

Croaking Frogs: A Guide to Sanskrit Metrics and Figures of Speech

 

あと、こちらの本が出たようですが、買って勉強してみたい。

躓きから見えてきたこと

前回ここに書いた件、やっぱり、自分のこれまでの見解を補強する新たな論拠になりえるんじゃないか?そう思って、これから調べてみようと思いました。今まで分かってきたことと絡めて、今年はその辺で論文を1本書きたいと思います。結果として、躓きからひらめきを得たことになるので新年早々焦っていましたが、よしとしましょう!

 

躓きから一転して、上々の滑り出しに…(笑)。

 

ドイツの写本、残りのスキャンが終わったとの連絡がありました。請求書と一緒に😅

 

いよいよ、全貌が明らかになりますね。

 

 

さて、最近出た本で興味を引くのがこちら。

 

こちらにその内容の紹介がありますが、大乗仏典の成立史を、そこに登場する仏菩薩の名から解明するという試みというのは確かに斬新ですね。